全くの手詰まり

ヤマハがオートレース全国大会にでたあのが、1955年の第3回大会でした。マシンは市販の状態でなければなりませんでした。つまり、改良する余地はほとんどありませんでした。そうした中でどのように勝てるようなマシンを作り出すことができるのかということに技術者たちはアイデアを出し合い、

寝る間も惜しんで励んでいました。しかしながら、全くの手詰まりになり何を、どうしていいのかわからないような状態にありました。ところがある日、DKW社製RT125の新型マフラーをYA-1に装着するだけで0.5馬力パワーが上がることに気づき、その要因が2ストロークエンジンの性能はマフラー形状によって左右されるということであることを突き止めました。その日以来、ヤマハの技術者たちはマフラーの改良に全力を注ぐことになりました。しかしもちろんマシンだけがすぐれていても優勝できるわけではありません。優勝するためにはテクニックのあるライダーを育てることも絶対的に必要でした。それである販売店に相談して10人のライダーを集めることにしました。車買取 熊本